ぼくらの家

"ただいま"を言いに行きました。

白の民マラカン

ラカンと呼ばれる民族が、アルメニアに住んでいる。

 

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“マラカン”の名はロシア語で牛乳を意味する“マラコーにその語源を持ち、これは彼らが肉を食べず、代わりに牛乳をよく飲んでいたためだと言われている。彼らはキリスト教、おそらく元はロシア正教だがその実態はその根本と大きく異なり、十字架を崇拝せず、代わりに白い布を掲げる。

彼らは生粋のロシア人で、男性はキリストの風貌を真似て髭を伸ばし、女性はマリアを真似たのかスカートとスカーフを身につける。ステレオタイプな考えではウォッカ狂いのロシア人だが彼らは例外で、結婚すると酒もタバコも止める。髭を伸ばすのも結婚のタイミングだ。

 

ネットの少ない情報で彼らのことを知った僕は、近くの山間の街、ディリジャンからタクシーを飛ばし、彼らが住むというフィオレターヴォ村までやってきた。

村の端から端まで測っても1kmあるかないかという小さな村だが、人影は少なくない。彼らの多くは村から離れず牧畜で生計を立てているためだ。早速歩いていた村人の女性に声をかけてみると、幸運な事に少しだけ英語が話せる女性だった。名前はマリア。

ここに住む全員がマラカンなのかと聞くともちろんと答える。彼ら、どれくらい前からここに住んでいるのだろう。

 

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マリアが紹介してくれたナターシャの家で一泊することにした。ロシア人らしい名前である。綺麗な金髪とブルーの瞳、言語は当然ロシア語だ。アルメニアに居るというのにロシアの田舎にやってきたような不思議な感覚を覚えた。

村の子供達や若い女性を見ても、どうみてもロシア人。マラカンは基本的にマラカンとしか結婚せず、他国に散ったマラカンが嫁探しにアルメニアに訪れるほどその伝統は根強い。彼らの純血は、彼らの伝統が守ってきたものだ。

 

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川を挟んだ村の反対にはマラカン達が眠る丘がある。彼らの墓は石も写真もなく、ただ被せた土と何も書かれていない家のような形の墓標が立つのみ。この墓標は鍵付きの扉のようになっていて、失礼ながらも開けてみると中には何も書かれていなかった。

 

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参考にしたブログでは村人に東洋人を始めて見たと言われるほどの場所だったが、今はそれなりにこの村を訪れる旅人もたまにはいるようで、子供だろうが老人だろうが気さくにグラスチェとロシア語で挨拶をしてくれる。

店もない村では近くの街から車で行商が来るらしく、パンや足りない野菜は行商から買うようだ。ナターシャの作る夕飯はロシアの伝統的スープ。食後にはロシアン・ティーと手作りのクッキー。テーブルの端に置かれたお菓子用のガラス食器がなんともロシアらしい。

 

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ナターシャの家の玄関には手書きで書かれたアララトの絵があり、彼らの信仰もまた、多くのアルメニア人と同じアララトなのだと妙に嬉しくなった。

信仰の方法は違えど信仰の対象は同じ。山や太陽を見たいつかの僕らの先祖が、その感動を、形を変え、言葉を変え、方法を変え、言い伝えてきた事象が、今日の宗教なのだ。

 

 

キルギスの田舎に日蓮宗のお寺がありました。

僕が旅に出る理由は大体100個くらいあってとかなんとか小洒落た冒頭でこのブログを始めようとも思ったが、書こう書こうと思っているうちに上海行きの船は出航してしまって、二晩を要するウルムチ行きの列車は寒空を駆け、何もない平原を走るカシュガル行きの冷たい床の思い出はもうあった。仕方がないので中国国境で出会ったキルギス人女性の話から話をすることにする。そもそも旅に理由なんかないのだ。

彼女の名前はアイジャン。中国へはビジネスで定期的に来ているそうだ。中国とキルギスとの国境は遠く、車で6時間はかかる。アイジャンと一緒に国境を越え、ビシュケクにあるアイジャンの家に泊まらせてもらい、それから、ビシュケク郊外の山中に住む仏教徒の話を聞いた。

アイジャンとタクシーに乗りたどり着いた先で驚いた。ここは日本の日蓮宗そのものだったのだ。

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現在この寺に居るのはロシア人のアレクセイと、ウクライナ人のセルギー、カザフスタン人のデニス、ロシアはアルタイ出身のウッドコルが主な僧侶だが、それ以外にも料理を作りに来ているキルギス人女性や中国からの夫婦など、人数はこれと決まったものではない様だ。

セルギーに御内仏まで案内してもらうと懐かしいお香の香りに包まれる。日蓮らしく南無妙法蓮華経の書と、一番目立つ位置に藤井日達氏の写真。日本山妙法寺はこんな所にもあるのか。下段の小さな写真は今現在の先生のもので、たまに金沢の羽咋から教えに来るそうだ。しかし太鼓といい立派な磬子といい、よく用意したものだ。

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お寺らしく1日の流れは決まっており、朝6時半、引磬の音で目覚めると法衣に着替え、7時から一時間の念仏と、法華経1ページロシア語で音読、座禅を数分行う。それが終わると立ち上がったりしゃがんだりする日蓮式の三拝をし、ロシア語で経を唱えスパシーバで終わりだ。念仏は団扇太鼓と、大きな和太鼓でリズムを刻み、日本語読みで南無妙法蓮華経と唱え続けるものだ。太鼓のリズムは最初の南無妙でトントントン、法ー蓮ー華ー経でトーントーントーントーン。

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これが終わって朝10時頃になると朝食の時間。作る人によってメニューは変わるが、肉をあまり使わない中華やキルギススープ、常備菜やピクルスなどはプラスαで。精進料理には見えないが、食事の前に手を合わせて南無妙法蓮華経と唱えているし、誰も残してはいない。これもまた仏教の形なのかもしれない。

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朝食が終わると16時の夕食まで自由時間だが、アレクセイはよくこの時間に街に出かける。仏教を勉強している方に法華経を貸すのはあくまでついでで、南無妙法蓮華経を唱えながら街を歩くのがメインのようだ。托鉢をしているわけでもなく、修行の一環なのだろうか。この国の殆どがムスリムで、少数のロシア系が正教会というこの国で、仏教は彼等以外ゼロと言ってもいい程に少ない。托鉢の文化すら、キルギスでは誰も知らないのだろう。

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夕方にも念仏があり、流れは朝のそれと同じだ。夜明け前の念仏が終わると日が昇っていて、夕方の念仏が終わると日が落ちている。不思議なもので念仏によって1日のサイクルが動いているように感じる。

朝の座禅では窓からの青白い光が、夕方の座禅ではただ2灯の蝋燭の火が、僅かに部屋を照らしていた。

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誰かがこの寺から出掛ける時は、それがどんな理由であっても旅の安全を祈る。御内仏の前で一度、外に出てから建物内の仏様に向かってもう一度。最初の祈りは旅人に対して、2度目の祈りは仏に対して。「幸あれ」と。

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セルギーの奥さんは中国人で、まだ1歳に満たないハーフの息子が居る。ビシュケク郊外の公共アパートの一室が彼ら家族の家で、挨拶に向かうと奥さんお手製の中華料理とセルギーが淹れた中国茶でもてなしてくれた。セルギー一家はこれからネパールへ旅行に行くそうだ。スピリチュアルな旅だと彼は言う。リビングの一角に用意された仏壇に祈る彼らを見ていると、仏教に場所は関係ないのだとつくづく感じる。

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日曜はこの場所にとって特別な日で、朝の念仏も普段より早く切り上げ、コートとブーツを用意し、団扇太鼓をバッグに詰めて寺から見上げる高さにある山へ向かう。

南無妙法蓮華経を唱えながら朝の青い山を一歩づつ。歩いていると少しずつ明るくなってきて、頂上へ着いた頃には計ったように太陽が顔を出し始める。頂上には石を積んで作った小さな仏塔があり、その周りを歩いては三拝を繰り返す。何度か回っていると山の向こうから少しづつ太陽が上がってきて、上った太陽にも団扇太鼓のリズムを聞いてもらう。その手前の山にも南無妙法蓮華経

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あァ、宗教だ。と思った。

今まで生活のサイクルとして見ていた念仏も、食事の合図としても使われる木鉦も、ここに到達するためにあるのだと。この場所に存在するリズムの根っこには、太陽というメトロノームがあるのだと。

だからこの場所のリズムは変わらないのだ。

朝日の中眩しそうに、けどまっすぐに見つめながら念仏を唱えるアレクセイの横顔が、今までのどんな顔より満足げに見えたのは、きっとそんな理由からだろう。